宝石好きな悲劇の姫マリー・アントワネット
オーストリアの名門(めいもん)ハプスブルク家(け)で生まれ(うまれ)た姫(ひめ)が有名(ゆうめい)なマリー・アントワネット・ジョセファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・オートリッシュです。14 歳(とし)で異国(いこく)の地(ち)、フランスへと政略結婚(せいりゃくけっこん)のため嫁ぐ(とつぐ)こととなりました。マリー・アントワネットは宝石(ほうせき)が大好き(だいすき)で、中でも(なかでも)、ダイヤモンドとパールが大(だい)のお好み(おこのみ)でした。たくさんの宝石(ほうせき)をコレクションしていたのにも関わら(かかわら)ず、借金(しゃっきん)などをして、常に(つねに)流行(りゅうこう)のものを追い求め(おいもとめ)買い続け(かいつづけ)ていました。夫(おっと)であるルイ16世(せい)はマリー・アントワネットには関心(かんしん)がなく、自分(じぶん)の趣味(しゅみ)にしか興味(きょうみ)がない15歳(さい)でした。皆(みんな)に監視(かんし)されながら迎え(むかえ)た初夜(しょや)以来(いらい)、彼女(かのじょ)はずっと王室(おうしつ)だけに限ら(かぎら)ず、最愛(さいあい)の母(はは)からも「早く(はやく)世継ぎ(よつぎ)を」、というプレッシャーを浴びせ(あびせ)られ、周り(まわり)はひそひそと陰口(かげぐち)を続ける(つづける)ばかりでした。誰(だれ)にも相談(そうだん)することが出来(でき)ず、虚しさ(むなしさ)に打ちひしがれ(うちひしがれ)たマリー・アントワネットはそのストレスを、靴(くつ)やにドレス、お菓子(おかし)、そして、大好き(だいすき)な宝石(ほうせき)で満たし(みたし)ていたのでした。そんなマリー・アントワネットの生活(せいかつ)がひとつのダイヤモンドにまつわる詐欺(さぎ)事件(じけん)をき起(おこし)こてしまいました。マリー・アントワネットはまったくの被害者(ひがいしゃ)だったのですが、日ごろ(ひごろ)のマリーの行動(こうどう)が災い(わざわい)となり誰(だれ)にも信用(しんよう)されませんでした。彼女(かのじょ)の評価(ひょうか)はがた落ち(がたおち)となり、フランス王室(おうしつ)の威信(いしん)までが、地(ち)に落ち(おち)ました。そして、ついにマリーアントワネットが斬首(ざんしゅ)されたのはそれから8年後(ねんご)のできごとでした。彼女(かのじょ)は数奇(すうき)な運命(うんめい)を送り(おくり)ました。マリーアントワネットが、そこまでの宝石(ほうせき)狂い(ぐるい)ではなけば、革命(かくめい)の間の手(あいのて)も、こんなにも鋭く(するどく)彼女(かのじょ)にさしかかったりしなかったかもしれません。しかし、宝石(ほうせき)がなければ、彼女(かのじょ)の寂しい(さびしい)生活(せいかつ)を満たす(みたす)ものはなかったのでしょう。
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オーストリアの名門ハプスブルク家で生まれた姫が有名なマリー・アントワネット・ジョセファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・オートリッシュです。
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